四季の彩り

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2011年 07月 19日

魁皇 引退

夕方、台風の情報を得ようとニュースを見ていた。ニュース速報の字幕の後「大関魁皇 引退」
のテロップが。

遂に来たか。正直この日まで持ったのが奇跡と言っても良いだろう。通算勝ち数の新記録も樹立
したこの場所、一つの引き際であったようだ。

昭和63年3月、相撲界は空前のブームを予感させる時代に入ろうとしていた。
角界のプリンス・大関貴ノ花の二人の息子(当時、若花田・貴花田)やハワイの巨人・曙と言った
後に横綱を張る新弟子が入門したのだ。その中に伝統がありながら小部屋になり下がっていた
友綱部屋に一人の少年が入門した。福岡県直方市出身の古賀君である。そう、後の大関魁皇だ。

その当時の角界は出羽海や時津風、春日野と言った「名門」より、藤島、武蔵川、大島等の新興
部屋が勢いを見せていたように思う。昭和50年代に活躍した名力士達が起こした部屋だ。

友綱部屋と言えば、どちらかと言えば地味で見立たない部屋だった。小学生の頃も現師匠の魁輝
以外、幕内力士がなく、その魁輝自身もあまり目立つタイプでなかった。「腰の重い魁輝」位しか
印象になかった。

その魁輝が引退後、義父である先代から部屋を継承し育てたのが魁皇だ。
同期のエリートの陰に隠れたといえ、順調に昇進を果たし若干19歳で十両入りした。それ以前にも
17歳だったと思うが、三段目優勝しNHKのインタビューを照れながら受けていた姿が印象に残ってる。

十両入りを決めた時「末の大関は間違いなし!!」と太鼓判を押した。当時、友人に送った年賀状に
そんな事を書いたりもした。その後、その予言が的中したのは、後にも先にもこの魁皇ただ一人だった。

大関を目前にしながら何度も足踏みし、少しやきもきさせたが遂に念願叶った。

その頃と前後し、体重がかなり増えたように思う。結果的にその体重が腰に負担を与えたのだろう。
ここ数年の相撲中継も殆ど見なくなった。かつては毎月購入していた相撲誌も、今は買ってない。
でも魁皇の事は気になっていた。取的時代から目を掛け、大出世した名力士。僕の記憶には、きちん
と残った名力士だ。 本当にお疲れ様でした。

今後は後進の指導にあたるだろうが、今度は親方として立派な力士を育てて欲しいものだ。
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by s-kainaka | 2011-07-19 20:33 | その他


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