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四季の彩り

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2012年 09月 23日

甲斐中文治郎

今回はここでのハンドルネーム「kainaka」について述べさせていただきます。

但馬が生んだ偉大な政治家・斎藤隆夫。出石郡室埴村(現・豊岡市出石町)出身の氏は、自分自身
特に関心があり、かつ尊敬に値する人物の一人です。
但馬の貧しい農家に生まれながら、苦学の末、弁護士に。そして明治末期に念願の衆議院議員に当選。
戦局が悪化した昭和10年代には、身を呈して国民生活の向上を訴え、そして軍部の責任追及を行った
とても勇気ある行動をした人物であります。

その斎藤隆夫を秘書として常に支え、彼の没後に後継として衆議院議員に就任したのが、甲斐中文治郎
(かいなか ぶんじろう)です。
明治31年城崎郡五荘村(現・豊岡市)栃江に生まれる。昭和22年より五荘村最後の村長を務め、当時
の豊岡町を中心に市制施行の機運が高まると、近隣の中筋・新田両村との合併に関与し、但馬初の「市」
誕生に尽力した。

昭和27年10月、兵庫5区に、自由党から立候補。候補者7人が立つ激戦を制し、有田喜一・小島徹三に
次ぐ3番目で見事初当選を果たしました。

だが、不運はこれから。せっかく当選した衆院の座だが、僅か5ヶ月で解散(いわゆるバカやロー解散)に。
返り咲きを狙って出馬した総選挙も同じ自由党吉田派で丹波の佐々木盛雄や、豊岡市が地盤の候補者
(社会党)が出たりと、票が割れる結果になり、8人中4位の次点に泣く結果に。

それから5年後、今度は市長選挙に打って出ることに。現職・佐川辰夫との一騎打ちに。結果は僅かに
1800票差で惜敗。前選挙に続き、再び不運な結果に。尚、この市長選挙には事前に佐川との駆け引き
があったと、手元の資料には出てる。ここでは割愛させていただくが、甲斐中にとっては本当に無念の思
いだっただろうと、推測する。

師である斉藤を心底支え、自身もその後継とし国政に参加。わずか5ヶ月でその席を失い、また市長選も
惜敗。光の当たる時間は短かった彼の人生を、豊岡市民として取り上げておきたかった。
ちなみにその後に衆議院議員に当選した伊賀定盛・吉岡賢治は豊岡市出身とあるが、出生地はそれぞれ
香住と竹野である。純粋な豊岡出身としては最後の代議士である甲斐中を、もっと注目されてもとも思う。
そんな彼に、なにか共感することがあり、4年前にこのブログを開設するに当たり、彼の名を勝手に拝借した
次第です。

甲斐中文治郎の肖像
甲斐中文治郎_f0174293_11321690.jpg

甲斐中家があった栃江地区。生家は既になく、更地になってるとのこと。
甲斐中文治郎_f0174293_11324361.jpg


なお、元最高裁判所判事の甲斐中辰夫は次男である。昭和28年の衆院選時の新聞に家族の事を聞かれた
記事が出てる。その中で「次男は中学2年生だが、こいつはまた級長ばかりさせらている。ぼくの後継が
できそうだ・・・」とある。

※ 参考資料  上田平雄著 不屈の政治家・斎藤隆夫
           五荘村誌
           神戸新聞 マイクロフィルム(豊岡市図書館蔵)

          (文中 敬称略)

ここでお知らせ

 4年余り前に開設しましたこのブログ、とうとう容量が一杯になってきました。長年皆様に可愛がっていた
だき、ここまで続けることが出来、本当にうれしく思います。

 当初は一日の訪問者もごく僅か。精々20人位だったと思います。今では大体100人少々の方が訪問
してくださり、またそれぞれにコメントも残して頂いてます。近年の竹田城人気で、このブログを見て下さる
方も増えたでしょうが、本当に本当に感謝です。

 さて、このままフェードアウトするのも偲ばれる思いですので、第2段を続けさせていただくこととしました。

 「彩」  シンプルなタイトルですが、四季の彩りをこれまで通り追いたいと思ってます。よろしくお願いします。


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ありがとうございました

by s-kainaka | 2012-09-23 12:13 | その他


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